ペインクリニックで扱う疾患

三叉神経痛・顔面痛・片頭痛・顔面神経麻痺・頸肩腕症候群・五十肩・肩こり・ヘルペス後神経痛・急性及び慢性の腰痛・坐骨神経痛・掌蹠膿疱症関節症・関節炎・リウマチ・手足のしびれ・自律神経失調症・ガンによる疼痛、など

「知らなかった痛みの話」

 大阪医科大学の初代麻酔科教授であり、日本の麻酔科、ペインクリニックの黎明期をリードした故兵頭正義先生が僕の恩師でした。先生は学術的ばかりでなく、芸術的な才能もおありで、学生時代絵のアルバイトで本代を賄われるほどでした。医学専門書や教科書も多く執筆されましたが、平易な表現で新聞雑誌の一般読者にも楽しみながら医学のことを理解してもらえるような文章も書かれておられました。

 不肖の弟子で、医学ばかりでなく文章力も劣る僕としては、先生の残された本を種本として何とか文章を紡いでいきたいと思います。その本は、昭和59年1月から60年4月まで産経新聞に連載したものをまとめた「知らなかった痛みの話」です。医学専門書でしたら、いかな名著でも内容が医学の目覚ましい進歩に色あせてしまうでしょうが、この本は痛みと人間の本質を扱っているからでしょう、少しも古びた感じがありません。改めて、兵頭先生は偉かった、と思うところです。

 ペイン(痛み)を治療しようとするようになってから、実は歴史はまだとても浅いのです。僕が開業した平成元年でさえ、ペインクリニックってなんですか?お医者さん?健康保険使えるの?大学病院で看ていてずっとブロック注射をしていた患者さんにまで、「先生、ようわからん科で開業しますねんな?どんなことしますのん?」と言われてました。兵頭先生の時代、どれほどに偏見や逆風があったか!

”痛み“は長いあいだ医学から”孤児”同様のあつかいを受けてきました。「命と関係がない」「病気が治れば治る」など
これはとくに、「慢性痛」の概念がなかったことに由来しています。その為痛みの研究は進まず、治療法も、まことに乏しいものでした。

私が初めて手術室に入ったのは昭和25年、医学部の三年生のときでした。当時はまだ近代麻酔法が確立されておらず、まるで中世の拷問部屋のような様子にキモをつぶしたものです。
いっせいに手術が始まると、もう修羅場です。執刀する外科医の罵声、走りまわる看護婦のヒステリックな声、痛みのあまり叫びうめく手術台の患者と、それをおさえつける若手の医師~まさに阿鼻叫喚の地獄絵の再現です。
その後「痛みを無視」し、ひたすら手術のできる意志強固な外科医の道を、私も心がけ外科を勉強したのですが、この情景がやがて、私に麻酔をライフワークとする決心を固めさせることになりました。「知らなかった痛みの話」

 その後、アメリカ、ワシントン大学麻酔科のボニカ教授の呼びかけによって昭和49年“国際疼痛学会”が設立され、痛みのメカニズムの解明が急速に進むようになりました。今では手術後の疼痛を取るのにどこの病院でも当たり前に使われる、コンパクトになってスマホを一回り大きくしたような「硬膜外腔少量モルヒネ注入鎮痛法」のできるものが、昭和60年頃、初めて大学病院で使われてセンセーショナルだったことが考えられないように定着しています。

 平成27年暮れに、生まれて初めての手術と入院を経験し、このスマホのお世話にもなりました。
10年以上前にテニスで痛めた膝の手術で、開業医の性、長らくは休めないので一度に両膝の骨を切り、身を持って麻酔やペインクリニックの恩恵を感じた次第です。

医療の原点は”苦痛を除く”こと、そのための検査方法や薬、画像診断や分子・遺伝子療法など、”痛み“に対抗するすべを我々は日進月歩で獲得してきています。それでも、なお、まだまだ治せない痛みがいろいろあります。しかし現在手をつくして治らなくても、けっして気を落とさないでください。今まで軽視されすぎていた痛みに、やっと今、焦点があわされたところなのですから。「知らなかった痛みの話」

注.「硬膜外腔少量モルヒネ注入鎮痛法」:
脊椎を包んでいる硬膜と背骨の間の硬膜外腔にごく少量ずつモルヒネを注入し、脊髄にしみこませて痛みを取る療法
 モルヒネの量を通常の5分の1から10分の1で効果が持続し、副作用がほとんどない